『ほしいものは』
「薫、そろそろ待ち合わせの時間ちゃう?」
葵が腕時計を見ながら、薫に問いかける。
「あ、ホントだ。そろそろ行かなきゃ。」
この日は7月30日。薫の誕生日である。
夏休みということもあり、誕生日祝いを兼ねていつものメンバーである
薫、葵、紫穂、ちさと、悠理の5人は街の方に遊びに来ていた。
楽しい時間というのはあっという間で、
いつの間にやら一般家庭では夕飯が始まろうかという時間になっていた。
「あ、もうこんな時間。今日の夜は皆本さんとデートなんだったよね。
羨ましいなぁー。」
「ちさとちゃんには東野がいるじゃん!
それにデートっていっても、皆本ん家でご飯食べるだけだから。」
薫は照れくさそうに、だが楽しみでならないといった表情で答える。
「はいはい、ごちそーさん。早よ行き」
葵も紫穂も、普段あからさまな薫と皆本のデートには嫉妬したりするが、
流石に今日は薫の誕生日ということで、黙認していた。
だが、こうも惚気た表情でいられると何となく鬱陶しく、葵は早く行くよう薫を急かす。
「うん、じゃあ行くね。
本当みんな今日はありがとう!」
そう言って薫はその場を立ち去ろうとした。
が、紫穂が行きかけた薫の手をとり、何やら耳打ちをする。
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約束は19時のはずだった。
皆本が誕生日には腕によりをかけて夕食を作ると言うので、
誕生日の夜は彼のマンションで一緒に過ごすはずだった。
だが既に時計の針はもうすぐ21時を回ろうとしている。
(皆本のやつ…まだ帰ってこないのかな。)
薫はソファーに寝そべって、未だ一人皆本の帰りを待ち続けていた。
1年に1度の誕生日。なのに2時間近くも待たされて全く怒っていないと言えば嘘になる。
だが薫は幼い頃から、母親と姉の多忙な職業に振り回されてきたせいで、
大人の都合や事情についてはかなり理解があった。
どちらかというと仕方ないと諦めていた、という方が正しいかもしれないが。
それに葵たちとの別れ際の紫穂の言葉もあった。
“さっき賢木センセイから急な仕事が入ったって連絡があったわ。
だからもしかしたら皆本さん遅くなるかも。
でも怒らないであげてね。
皆本さん、何週間も前からプレゼントやケーキをどうしようか、薫ちゃんの為に散々頭を悩ませてたんだから”
仕事が急に入ったのは不可抗力だから仕方ない。
だが、ずっと前から自分の誕生日を気にかけてくれていたのは喜ばしい。
遅刻したことは大目に見てあげようと薫は考えかけて、ふとある事を思いつく。
大きくなるにつれ、昔よりはずいぶん聞き分けの良くなった自分だが、
誕生日の今日くらい、久々にワガママを言ってみようか、と。
そして自分が今最も欲しいものをねだろうと考えた。
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皆本は急いでマンションのエントランスを抜ける。
エレベーターが降りてくるのがやけに遅く感じる。
今日は薫の誕生日を一緒に祝う約束だった。
しかし急な仕事が入り、2時間近くも遅れてしまった。
しかもマンション前に着くまで、遅れるという連絡さえするのを忘れていたのに気づいた。
やっとのことでエレベーターが階数に着き、やはりノロノロと扉を開ける。
扉が半開きにも関わらず、皆本はエレベーターから急いで飛び出し、部屋へと走る。
急いで玄関を開け、リビングに入ると、こちらに背を向けソファの上に座っている薫が見えた。
「薫、本当にすまないっ!!こんなに遅くなるはずじゃなかったんだが…。」
皆本が息せき切りながら謝るが、薫の反応は全くない。無言でこちらを向いてもくれない。
相当腹を立てているのだろうか。
「急な仕事でどうしても抜けられなくて…それに連絡するのも忘れて…。本当に申し訳ない!!」
「もういい。皆本があたしの事どーでもいいと思ってるのは分かったから。」
「薫!そんなことはない!
薫のことはちゃんと考えてるよ。」
「うそ。じゃああたしの事どう思ってんのさ。」
皆本はつい言葉に詰まる。
普通の男ならごく普通に囁く言葉なのだろうか。
実際、賢木なんかはしょっちゅう口に出していそうだが、自分はそんなタイプではないことを承知している。
生来の生真面目さもあって、どうにも気恥ずかしい。
「やっぱり、どーでもいいんだ。
皆本の都合のいい時だけ、あたしは遊ばれてるんだ。」
皆本が返答に困っていると薫が更に低いトーンでぼやく。
「薫…僕がそんなつもりじゃ分かってるだろ?」
これ以上いじけられては余計にややこしいと、皆本は意を決して、薫に背後から近づく。
後ろから薫を抱きすくめながら、彼女の耳に甘く囁く。
「薫のことは…大好きだよ、愛してる。」
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薫は皆本の愛の言葉に胸が高鳴った。
普段照れくさがって、滅多に皆本が言ってくれない言葉だった。
誕生日の今日ぐらい、言ってほしくて怒ったフリをしていた。
念願叶って皆本は“愛してる”と言ってくれた。
それが嬉しくて、薫は怒っているフリをしていた以上、『仕方なく許してあげる』
演技をしようとするのだが、顔がにやけてしまって上手くいかない。
「もう、仕方ないなぁ、皆本は。」
そう言いつつ皆本を振り返ると、結局満面の笑顔になってしまった。
一方皆本は、やけにあっさり薫が許してくれたことに違和感を覚えた。
しかも振り返ったときには『嬉しくて仕方ない』としか言い様のない笑顔だった。
(さてはコイツ…わざと怒ったフリをしてやがったな…)
皆本は一瞬薫に担がれたのかと、悔しくなる。
だが自分のたった一言でこんな笑顔を見せる薫を愛しく思った。
そして自分の愛情表現の下手さを恥じた。
(そういえば、こう見えて本当は寂しがりやなんだよな…。
これからはもっと、恥ずかしがってないでちゃんと伝えてやろう。)
皆本は薫の体ごと自分の方に振り向かせて、熱いまなざしを向けながらもう一度心を込めて言う。
「愛してるよ、薫。」
そして熱い口づけを与える。
いつもより気持ちのこもった皆本の言動に、薫は酔いしれる。予想外の展開に、逆に戸惑うほどだった。
さらに皆本はネクタイを緩め、上着を脱ぐ。そして薫の上に覆い被さり−−−
「ちょ、ちょっと皆本!?仕事が終わったばっかで疲れてるんじゃない?ご飯も食べてないんじゃーーー」
「構わない。それより早く、18歳になった薫をもっと知りたいーーー」
急な皆本の愛情に驚きつつも、最愛の人の腕の中で、
欲しかった言葉を囁かれながら、お互いにとって幸福な日を過ごした。
END
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