蛍。




 梅雨時の蒸し暑い夜。

 築造から、かなりの年月を経過した家屋の古ぼけた縁側に皆本は腰を下ろし、虚空の闇を見続けている。

 ふいにひらりと、淡い光を放ちながら蛍が、皆本の手の甲に静かに舞い降りた。

 静かに蛍は、手の上でもの悲しげな光の点滅を続け、ただずんでいる。

 まるで、何かを伝えたいかのように-----

 その姿は愛しさを抱いた、かの女性を被らせる。忘れた事がなかった最愛の。

「薫…… 」

 愛しさを滲ませた声で、皆本は蛍に向けて薫の名を呼んだ。

 愛しさをどれだけ募らせても、もう彼女に逢うことも、抱きしめることすら出来ない。

 なぜならば、もう彼女はこの世にはいない。

 …… 自らの手で、最愛の彼女を手にかけてしまった……。

 示されていた予知を覆す事すら出来ずに、結局その流れに流されてしまった。

 抗ったというのに、そうすることでしか、彼女の抱いていた苦しみの生活から解き放ってあげることが出来なかった。

 誰よりも、争いを嫌い人を愛する人間であったから------

 エスパーと、普通人の戦争が終わり、世界が荒廃の道を辿っている今、

薫を失ってからの彼は、世界に何の興味すら抱くことなく、世捨人のように誰もいない場所へと忽然と姿を消す。

 生きている意味すら感じられない程に、全ての情熱を失った彼は

生きる屍のように、ただ人里離れた奥深い山村の片隅で生きていた。

 心の贖罪と引き裂かれる痛みは、消し去ることは一生出来ないだろう。

 薫を後を追えば、彼の罪の苦しさから逃れれるのかもしれない。

 あえて、それは皆本は選ばなかった。

 生き続ける事で、自身の罪を背負い苦しみ続けなければいけないのだと。
 
 
 呆然自失なまま生きていた際、蛍が彼の元に舞い降りた。

 蛍は、彼岸の向こうに去った親しき人の化身だという言い伝えがあるのは、よく聞く話でもある。

 かといえ、目の前にいる蛍が彼女の化身とはありえないのだが、皆本には薫に思えて仕方が無かった。

 もう逢えないはずの薫が、自分に逢いに来てくれたのではないのかと、自分を慰めるような心境になっていたのかもしれない。

「薫…… 僕は、君に何もしてあげれなかった…… すまない。謝りきっても謝り切れない…… 」

 懺悔の念で、皆本は一人、蛍に向け胸に抱き続けた罪を吐く。

 ままで、誰の前でにも口にしなかった言葉を。

 しかし、謝っても薫はもう生き返ることすら無い。

 ただ、空しいだけの懺悔なのだが、こうしていないと自分を支えきれなくなっていた。

 無論、蛍は何も答えることなど無い。

 そのような能力を持つはずも無いのだから。

 しかし、皆本の懺悔からくる自己空想か、幻聴なのか、息覚えのある懐かしき声が彼の耳元に囁かれる。

 優しく、労わるような声で。

『皆本…… 』

 

「薫なのか !? 」

 幻聴だとわかっていても、皆本は期待を抱き顔を上げる。

 そこには、淡く朧に空に浮かぶ薫の姿。

「薫っ !! 」

 薫の姿を目の当たりにして、皆本は途端に破顔しながら涙を溢れさせ、薫の名を呼んだ。

 逢いたくても、逢うことが叶わなかった彼女がそこにいるのだから、当然の事であろう。

 彼女の最後の時の姿で、彼の前にただずむ薫は皆本の頬をそっとなでる様な仕草で、手を差し伸ばす。

 無論、本当に触れれるわけではない。

 しかし、皆本には確かに感じていた。

 薫の温もりを…… 心で感じ取っているのだ。

『皆本…… 私は、私なりに生きたんだから、何も後悔していないよ。

皆本と出遭えて、そして愛してもらったんだから…… 短かった人生だったけど、本当に幸せだった。

私の最後は、皆本が悔やむことなんか何も無い。私がそれを選んだんだ。そのことで皆本をいつまでも苦しませてごめん……

私は、悲しんでいる顔をしている皆本の姿なんか見たくは無い。皆本には幸せになって欲しいんだ。

我侭かもしれないけど、それが私の願いなんだよ」

 顔を少し曇らせながら、薫は皆本に胸の内を伝える。

 彼岸の先で、皆本の事を気にかけながら、彼女もまた心を苦しませていた。

「でも、僕は君がいなくちゃ、幸福なんて感じられない ! 」
 
 幸せを自身の手で壊した皆本の言葉は、ただ辛さだけが伝わる。

 それだけで、どれだけ薫の事を愛しんでいたのかが、薫にも痛いほどに分かるのだ。

 思わず薫もまた、彼の痛みに引き込まれそうになるのだが、その思いから踏みとどまる。

 このままでは、自分の為に皆本は駄目になるだろう…… 

だからこそ、自分には、皆本にしてあげあければいけない使命があるのだと、一人の女としての心を押し殺した。

「…… それでも、皆本には乗り越えて欲しい…… この世界には、皆本を必要としている人が沢山いる。

その人たちを救ってあげて…… 勝手な言い分かもしれないけど、皆本が幸せでいてくれるのなら、私も安心して行ける」

「…… 本当に勝手だよ、君は…… 子供のころから、僕を振り回してばかりで…… でも、憎むことも、嫌うことすら出来ない。

今だって、愛しさしか出てこないんだ!」

「わたしもだよ…… でも、生きている限り、前に向かって生き続けるしかないと皆本が教えてくれた。だから、お願いーーーー 」

 何も無い悲しみなら、誰もが悲嘆に暮れ駄目になってしまうが、悲しみの後に目標を与えられたのならば、それはその人を支える力になると薫は

考えていたからこそ、皆本にそう諭す。

 必死に皆本を説得する薫の姿に、やがて皆本も自身が現実から逃げていた事に対して正面から立ち向かう事に目を覚ます。

 自身が、全てから目を背け続けた事により、薫がこうして諭しに現れていた不甲斐なさを悔やむ。

 全てに立ち向かう勇気が、無かったからこそ薫を失う結末になったのだと。

 もう自分達のような悲劇を繰り返してはいけないと、薫が教えてくれたのだ。

「前に進んでみるよ。もう、僕らのような悲しみを誰にも味合わせたくはない」

 皆本の瞳に、少しずつ力が戻る。心の弱さを吹っ切れたのかもしれない。

「あたしの好きだった皆本に、戻ったね。もう、これで安心だよ」

 いつの間にか、初めて出会った頃の十歳当時の姿に薫は遷り変わっていた。

 彼が好きだった屈託の無い明るい太陽のような笑顔が、目の前に広がる。

 二人の原点は、この頃であるのだから、あえて薫はこの姿を選んだのだろう。


「最後まで、薫には世話をかけたな」

 皆本にも、目の前の薫との逢瀬がこれで最後だと直感的に理解できていた。

 もう、こうして逢える事は二度と無いのだと。

「ほんの恩返しだよ…… 大好きで愛してたよ、皆本。…… さよなら…… 」

「僕もだよ、薫…… さよ…… なら…… 」

 本心では別れたくなどない二人は互いに、溢れ出す涙すら拭う事も無く見詰め合い、愛を語り合いながら、

薫の姿は夜の闇に溶けるように消え、手の上にいた蛍も、しばし別れを惜しむかのように幾度か、点滅をした後、

やがりひらりと舞い上がり何処かへと姿を消す。

「ありがとう、薫…… 」


 消え去った後を見つめ続けたまま、皆本は薫に本当の別れを告げ、再び前に進み始めるのだった……





                 


                                                   終。

                                             2009・6.29 加筆前作品をブログに掲載。
                                             2009・7・1 一部、加筆修正




       
     何の脈絡もなしに、突発で書いた悲劇ものの、皆薫です。
     ちょいと、庭で蛍を見てたら、思い浮かんだネタ(汗)
     悲劇ものというか、予知が起きてBADENDになった後の、皆本の駄目っぷり、薫によがる話というか、
     そのまんま。
     薫さんは、既に鬼籍の彼岸人なので、蛍で登場…
     蛍が、彼岸に行かれた方の、生まれ代わりとか、色々聞くネタをべたに。
     話自体も、相当ベタです。
     多分、お盆の頃の話です。あから、帰ってこれたということにしておいてください。
     地元は、7月が盆です。
     
     思いついて、ブログに何も考えずに書きなぐった話でしたので、
     サイト掲載時には、結構変えてあります。
     特に、ラスト近辺。
   
     薫亡き後の、皆本話は他にもありますが、書くかどうかは分かりません。
     






 
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