「流れ往く時の流れに」
「待たせたな、薫」
ドアを開けて、皆本は室内に入ってくると、部屋に待たせていた薫に声をかけた。
声をかけたのだが、返事は無い。
その代わりに、静かな寝息だけが室内に響き渡る。
「…… 寝てしまっていたか…… 今日の任務は、結構ハードだったからな」
皆本は、少し申し訳なさそうな面持ちで、薫の眠っているソファーの隣に座り込みながら、
その寝顔を見つめていた。
ほぼ一日を費やす任務を皆本と薫で現地に向かい無事完遂した後に、
任務報告をしにバベル本部に来ていた皆本を『待っている』と薫が言うので、
しばし待機室に待たせていたのだが、相当疲れきっていらしく、
案の定彼が来るまでに眠りについてしまっていたのだ。
この状態で無理に起こすのも忍びないのだが、しかし、薫の自宅に送らなければいけない義務もある。
薫が子供の頃とは違い、今現在は同じ家には住んでいない。
成長著しい年頃の女の子と、若い男がいつまでも一つ同じ屋根の下に住んでいるのは、
色々と問題があることもあり、薫は本来の家族の待つ自宅に住んでいる。
今日も、薫を自宅まで送り届けるつもりでいたのだ。
「薫…… 帰るぞ」
(すーすー)
なるべく優しく声をかけて、起こすのだが寝息ばかり。
仕方なく、薫の肩に手を置いて起こそうとした際、彼女の腰まで届く柔らかい髪に触れ、
何か思い出したかのように笑む。
「子供の頃は、短かったんだよな…… いつの間にか、こんなに伸びていたんだ」
まだ肩にも届かずにいた、短い髪型だった頃の子供の頃の薫の姿を思い出す。
衝撃に包まれた出会いから早、数年…… 薫は、心身共に著しい成長を果たしていた。
まだまだ精神面はともかく、外見の成長は著しい。
最近の女の子の成熟さは、早すぎるのではないかと皆本自身も戸惑う程に。
普段は、男勝りの性格が強い薫であるのだが、
時折見せる女性らしい仕草が皆本を戸惑わせてしまう事も最近は、多々ある。
以前、薫の十六の誕生日を紫穂と葵と彼で祝った際には、
『これで、あたしも結婚出来る年になったんだよ』と、まじまじと目の前で言われ、
彼の度肝を抜いたこともあった。
まだまだ子供なのだと、彼自身は捉えていたというのに、
その思惑を上回るほどに成長している姿を突きつけられているのだから。
しかし、今彼の目の前で見せている寝顔は、まだどこかあどけなさを残している。
子供であって子供では無く、大人であって大人では無いという境目の年頃なのだ。
まだ大人になりきっていなくても、やがてすぐに薫は大人になるだろう。
------------- そう、あの予知で見た薫の姿へと。
未来を先に知ってしまい、結末を変えようと彼なりに努力をしてきたつもりなのだが、
既に未来が変化しているのか、何も変わっていないのかは彼にも分からない。
しかし、こうして常に薫を守り導いている。
薫自身の本質で、今のエスパーと普通人の関係をどう考えているのかは彼にも分からない。
しかし、薫が自分の元を離れる日が来るのかもしれない恐怖は常に彼の中にある。
離れた後の、結末は痛いほど彼自身は知っているのだから。
薫の頬を右手で撫でる様に触れ、彼は見つめる。
(未来の僕は、君の事をどう思っていたんだろうな……
心を引き裂かれるような痛みに苛まれながら、君を撃ってしまったことだけは分かる……
これ以上、君の手を罪に汚させたくはなかった……
君がそうなることを望んでいるようにも、僕は思えたんだ。
あの君は、最後に僕の事を『愛している』と言った。おそらく、
僕も同じ思いを抱いていたのかもしれない…… )
まだ訪れることもない、未来の自分の生き様を彼は分析していた。
「今の僕は、君をどう思っているんだろうな…… 」
皆本は独り言を口にする。
正直、彼の中では薫に対しての感情が未だに分からない。
まだまだ子供だという感覚で捉えてしまっている面もあれば、
年頃の女性になりゆく姿に惹かれてしまうこともあるのだから。
しかし、保護者的立場でもあった子供の頃とは違い、
今の薫に感じ抱いている気持ちの意味を理解しきれないでいた。
それは彼自身、恋愛経験が少なすぎた影響もあるのだが。
「…… 皆本…… 」
ふいに薫は寝ぼけながら、皆本の名を呼ぶ。
その仕草とどこか艶やかな声で一瞬、皆本の胸中は揺さぶられ、
同時に薫を意識してしまっていた自分に気づく。
「薫…… 」
無意識に皆本は、薫の顔に近づくと、潤いに満ちた彼女の唇から目を離せないでいた。
(重ねたい…… )
彼自身の本音を表面へ滲ませながら、鼓動を弾ませどこか熱病にかかったかのように引き寄せられ、
お互いの吐息を感じながら、今にでも自分の唇と重ねようとした寸前に、皆本は急に我に返る。
「何をしようとしていたんだ…… 僕は-------- 」
自らの感情が理解できない行動を起こし、混乱気味に自分を戒める。
しかしそれでも、薫に異性として密接に触れ合いたいという感情を抱いてしまった事実は確かだ。
その気持ちが何なのかは、今の皆本には分かっていた。
先ほどまで、朧気で分からなかった感情であったというのに。
けれども、それを今の彼は受け入れることを拒み否定する。
自分にとって薫は、支えて導いていく保護者的立場であることは変わりないのだからと。
「ほら、薫、帰るぞ !! 」
自分の感情を否定しながら、薫を少し大げさに体を揺らしながら起こす。
「…… ん〜分かったから、そんなに揺らさないでよ」
起こされ方に不満をこぼしながら、薫は寝ぼけながらも目を覚ますのだが、
どこか焦点は合っていないらしく体が揺れている。
「あまり遅くなると、明日の学校に響くから行くぞ」
顔を赤らめてどこか焦りながら、皆本は一人先に部屋を出ようとするその腕に薫は自分の両腕を絡ませた。
「そんなに急がなくてもいいじゃん。あたしを置いていかないでよ ! 」
絡ませた腕に自分の体を密着させ、猫撫で声で少し甘えてせがむ。
その行動が、皆本にとって更に薫への意識を強めてしまう結果へとなるのだが。
「甘えすぎだ、君は。もう小さな子供じゃないんだし」
慌てて、皆本はその腕からすり抜けるように、どこか突き放した態度で薫に接した。
「…… ケチ」
皆本のとった態度に、薫は何か言いたげな面持ちと、
どこか寂しさを抱くのだが口にはしなかった。
普段から、必要以上に甘えさせてはくれない相手だということを知っているのだから、
仕方無いとは理解していたのだが。
それでも、彼女自身はもっと皆本に触れたい、
より深く触れ合いたいと思っている切なさに近い思いを抱いていた。
自分を受け止めて、温もりと安心を与えてくれる存在を常に求めているのだから。
そんな薫の気持ちを、今の皆本が気づくことも無い。
(…… 鈍感…… あたしの欲しい物に気づいてよ…… じゃないと、あたし…… )
抱いた胸の痛みを皆本に悟られないまま、薫はその思いを胸の奥底にしまいこむのだった。
「行くぞ ! 」
「分かっているって、何度も言わないでよ」
普段通りに、薫は皆本に接しながら、先に部屋を出た彼を追いかける。
そして、二人は帰途に着いた。
お互いの胸中を知ることも無く。
伝えることの出来なかった気持ちを抱いたまま-------------
それからしばらく時が経過した後、薫は彼の目の前で、
自らの進む道を選び去り、その後になって、皆本の胸中に薫の存在がより強く、
愛情を抱いている事を認め、伝えられなかった思いに後悔と不甲斐無さを激しく覚えるのだった。
終。
2008・05・14
以下、15巻ネタバレ注意。
16〜17歳辺りの薫と皆本の話です。
ほとんど、皆本の一人語りなんですけどね。
24号で、遂に薫の離反場面出てましたから、この展開の少し前の二人でもと書いてみました。
本誌では、薫には何の手も出さずに思いも告げずに去られたような気配が漂うので、
そんな内面悶々を出してみたつもりですが。
…結局皆本、ムッツリヘタレになってしもうた(苦笑)
薫の方は、24号辺りの内面を使わせていただいたりしてましたが。
結局、皆本はこれに気がつかないわ、奥手だわで、薫に逃げられたんだよ(こらこら)
余談ですが、この話と逆の薫バージョンのネタが前からあるので、時間があれば書き上げます。
ただただ切ない乙女薫さんの話ですけどねぇ。
ブラウザの×でお戻りください。