◆忘れられない思い 10




「皆本、お前…… いつからタバコ始めていたんだ」

 バベル内待機室で、一人煙草を吸っていた皆本の姿を彼に用事があった賢木が見つけ、

意外な顔を浮かべた。

 真面目一辺等な皆本らしかぬ姿だからこそ、

賢木にはそれに違和感を覚えたのかもしれない。

 一応、バベル施設内全ては禁煙であるのだが、規則にはうるさい皆本だというのに、

それを堂々と破っている姿を信じられないでいた。

「最近…… な。今は、吸っていると少し気分が落ち着く」

 賢木が来たのを知った皆本は、迷惑をかけまいと咥えていたタバコを灰皿に押し付け、

火を消す。一応、彼なりに気を遣ってはいるのだ。

 それは彼自身の性格でもあり、変わらぬ部分でもあった。

「…… 止めろとはいわないが、吸いすぎには気をつけろよ」

「分かっているさ」

 賢木は皆本の健康の事を留意する事を言うだけで、それ以上の事は言わない。

 何の前触れも無く、吸い始めた理由は賢木自身には心当たりがある。


精神感応能力者である賢木が、皆本に触れて直接内心を視た訳ではないのだが、最近の彼の行動の些細な変化には気がついていた。

 おそらく、ここ最近の内に彼の元を離れていった薫と再会を果たし、

そして、元々、タバコを吸っていたのは薫であり、自身でも吸い続ける事で、

薫が自分の近くにいるように思い込みたいのだろうと。

 未練がましいとも言えるが、そうでもしてまで薫の事を繋ぎとめておきたいのだ。

 二人が長い間に築いた絆の強さと情愛を知っているからこそ、

賢木は薫の存在を忘れろとも、無茶な事をするなとも言えない。

 互いの距離が離れているとはいえ、心の距離が離れる事は無いのだと、

身近にいた彼だからこそ分かり、賢木自身には、

それほどに惹かれあい続けられる存在がいる事が逆に羨やましいと思えてしまうのだ。

 普通人と、エスパーとの全面戦争が色濃くなり始めている今、

皆本と薫の関係だけではなく、世界的に勝手のよう関係であり続ける事は、事実上不可能になりつつある。

 その事を皆本よりも熟知し、受け入れていた薫は自身の生活を捨ててまで今を生きている。

 同じエスパーであるからこそ、その苦悩の深さと痛さが皆本よりも遥かに理解出来ているからこそ、

強引に薫をもう一度連れ戻せなどとは言えない。

 バベルにいる賢木ではあるが、この世界の流れとパンドラの真意を捉えているのだ。

 エスパーとしての感情としてならば、彼自身もパンドラへ行くべきなのだろうとは考えてはいる。

 しかし、それは彼自身の中には選択肢としては、当初から存在していない。

 賢木には、エスパーとしての本能よりも自分はここにいてするべき事があるのだ。

 皆本を支えてやらなければという自らの決意がある。

 彼には皆本が、今の悪化しつつある世の中を救える存在になりゆくかもしれない

可能性の本質を捉えているのかもしれない。

 普通人である彼が、計り知れないほどの超能力を抱いた薫を何のためらいも、

臆することも無く、ただ同じ人間としてとして接し触れ合い育て、やがて一人の女性として愛した。

 薫の背負うエスパー全体の未来という重さすら、彼は彼なりに受け入れようとしていた。

 ただそれが皆本自身も気づく事が遅すぎたのと、

薫自身が皆本という存在を完全に受け入れきれていなかった情のすれ違いで今に至っているだけなのだと、

これが普通の男女でなら簡単にそう言えるのかもしれないが、その簡単が出来ない境遇でもある。

 どうにもならないまで、互いの距離を持ってしまった今では、

互いを近づかせる事すら容易ではないのかもしれない。

 心だけは、常に惹かれあい側にい続けているというのに。

 それは、あの兵部京介とて当の昔から知っていることであろう。

 自分たちが生まれる前から、この二人の関係と未来を知っていたというのに、未だに悲劇の未来を改変しようと足掻いている。

 自分たちと同じように、この二人が真に結ばれればエスパーの未来も変わり行くという希望を抱いているに違いない。

 ただ、それを認める素直さを抱けずにいるだけなのだ。

(皆、素直になるだけでいいのに…… 素直になるのを許されない世界なんてな…… )

 賢木は、誰に投げかけるわけでもなく、ただそう常に感じてはいる。

「一本俺にもタバコをくれ」

 賢木は、皆本の上着の内ポケットから少し出ていた外見が潰れ掛けたタバコの箱の中から、

一本失敬すると、口に咥える。

「…… あ、あぁ。珍しいなお前が…… 」

 それを目にして皆本は、ポケットの奥に入れていたライターで賢木のものにも火を付ける。

 いうまでもなく、そのライターは薫のものであるのだが。

 薫が残していったものという事もあり、皆本は以来肌身離さずに持ち歩いている。

「やっぱ久々に吸うと、ふらつくな-----

 空に紫煙を吐き出しながら、懐かしそうに賢木はタバコを愉しんでいる。

「賢木、昔は吸っていたのか  ? 」

「中坊ぐらいのガキの頃にな…… 背伸びしたいというか、

周囲の大人達に反抗したくて背伸びしたかったというか…… 

正直、今から思えば、少し前に発現した超能力によって、

俺を見る目を変えた連中たちに苛立ちながら鬱憤を晴らしていただけにすぎないかもしれないけどな」

「…… そうか、思春期は特に自分に対する反応に敏感になりやすいこともある。僕もそうだったからな」

 まだ大人に変わりつつある精神的に不安定な時期でもある頃だった事を皆本は脳内で反芻させながら思い出す。

 周囲の大人達に囲まれながら、留学先のコメリカで鬱積していた際に

背伸びして対等に付き合おうとしていた自身を思い返すと恥ずかしさだけが募る。

「止めたのをまた吸わせるように仕向けたようで、すまない」

「いや、お前は気にすることなんか無いさ。そういう気分になってみたかっただけだ」

 以前は確かに賢木が未成年でありながら、

ヘビースモーカーに近い程に喫煙をたしなんでいたのだが、

その道からすっぱりと縁切り出来るきっかけがあった。

 皆本と出逢うことが出来たからこそ、それまで自身が抱え込んでいた影と、

誰からも理解されないでいた寂しさを埋める事が出来たのだ。

 タバコは、その寂しさを埋めるだけの存在だったらしく、

皆本に何かと絡み始めてからは、すっぱりと縁を切ることが出来た。

 それだけの存在である事実を、今もそしてこれからも賢木は決して誰にも話すことは無いだろう。 

 このまま人生が終わる日まで。

「 …… 久々に味あわせてもらったぜ。ほどほどにしておけよ」

 賢木は、皆本のポケットの中に未だ残っているタバコの箱を取り出して、

少し見つめながらも彼の身体を心配する声をかけながら、それを皆本の手に渡した。

「分かっているさ。今、僕が自分を駄目にしてはいけないことは、自分で一番な…… 」

「昔から、そういう所は自己管理出来ている奴だったな、お前は…… 

たまには息抜きでもしろよ、時間が出来そうなら以前みたいに呑みに行こうぜ」

「そうだな」

 気遣う賢木の言葉を本当にありがたく心に染み込ませながら、

自身は決して一人で困難に立ち向かっているのではないのだと、心強さが生まれる。 

 心音を分かち合える存在は、エスパーでも普通人という差別的分別とは関係など無い、

人間として出来るものなのだと。

 それを、普通人に求めないパンドラ…… 

いや、全ての人間に対して受け入れられるような方法と生き方を示す事が、

何よりも薫の心を変えられるのかもしれない。

 パンドラを含め、エスパー全般は普通人に対して心の傷とも言える嫌悪感を抱き続けているからこそ、

その傷を癒して心を開かせる世界を作り上げる事が必要なのだ。

 薫に関しても、そうかもしれない。

 十年近く、側で共に生活しながら情が芽生え、共に関係を結ぶ間柄にはなっていたものの、

果たして彼女の心の全てを知り受け入れていたのかと問われれば、それは首を横に振る結果となる。

 上辺だけの彼女を愛しんでいたのかもしれないという、自責の念すらあった。

 人は誰しも、他人は見せない影がある。それは、皆本とて同じ事。

 互いに干渉してはいけない領分かもしれないのだが、薫はその部分が深い根底に根付き、

それが今の彼女の生き方を示してもいるのだ。

 皆本は、薫が彼に何を求め続けていたのか、

側にいた頃は気づくことすら出来なかった彼女の本質が今なら少しだが見え始めている事に気がついていた。

 それは何なのかは、まだ漠然として彼には捉えきれていないのも現実ではあるのだが。 

 薫に感じているそれについて真に気がつくことが、この状況を打破する全ての『鍵』になる。

 

「さてと、休憩時間も終わりだ。俺は仕事に戻る」

 いつもと変わらないような、飄々とした口ぶりを残しながら、

賢木は皆本から踵を返し室内を後にする

「僅かな時間でも、気晴らしが出来たよ…… 賢木ありがとう…… 」

 苦難の際に、手を差し伸ばしてくれる親友に皆本は、再びタバコを取り出しがら今一度礼を述べた。

 今もなお、バベルに居続ける賢木ではあるが、

彼にすら高レベルエスパーであるだけで不穏分子として見られ国家の監視が置かれている状況ではあるが、

それでも彼も薫や紫穂、葵の存在を見捨てたりしない同志であり続けてくれることに。




 ************




 窓から遮光する事も無く、光が室内に差し込んでくる。

「う…… ん…… 」

 純白に包まれたシーツの上で甘く、眩しそうな声をしながら、

薫は日差しから目を背ける様に健康的で瑞々しい裸体を伸ばしながら、目覚めた。

 普段、現実の苦悩を忘れるように眠りの世界に身を委ねてみるものの、

そこでも彼女にとっては安らげる世界では無い。

 どこにいても、得体の知れない様な空ろさだけが常に襲い掛かっていた。

 しかし、そんな彼女が唯一、それを忘れられる時間もあるのだ。

 それが、彼女にとって、更に自身を追い込むような結果になっている事等、承知でもあるのだが。




「起きたのかい、薫」

 上半身だけ身を起こしている薫の真横から、彼女を呼ぶ声が聞こえる。

 薫は屈託の無い笑顔を浮かべながら、声の主に振り返る。

「おはよう、京介…… 」






                                                      2009・6.21

                                              9に戻る。        11に続く。





3ヶ月ぶりの更新です。
本人の諸他の都合で更新がめっきり鈍亀状態化ですみません。
今回全然、皆薫じゃねぇ…と、憤慨の皆様に再度すみませんと、何度謝っているやら。

今回殆ど、賢皆話です。この話の前のほうでも、似たような展開になっているのはお気になさらず(苦笑)
賢木センセーが、この話の中では一番の賢人。
というか、物語の支え柱?
いないと、物語バランス取れないほどのお方。
BL的思考はおいといてでもは、おいといてでも、賢木は皆本にベタ惚れ。
え、人間性という意味ですが。

皆本がいたからこそ、パンドラに行かなかったようなものに思えます(爆)
これからも、センセーには頑張っていただかねば…。

尚、この作中では、賢木×紫穂シチュは未定…
(いや、そこまで話考えていないだけですが…)

え……えっと……最後の爆弾投下展開次号に続くで憤慨なされてたら、すみません。
この物語は、何が何でも皆×薫ですから。

憤慨なされた方、気を落ち着かせていただいて、次回以降を……

これ以上、書くと色んな意味でネタバレ化しそうなので、ここまでで…。

しかし……タバコネタが、今回も引きずるとは…(苦笑)
薫の吸っているタバコの銘柄等は……全然、考えていない始末。
一度、この話を纏め直す際に、決めようかと。
ちなみに、ライターもそれなりの銘柄予定なのですが。









ブラウザの×でお戻りください。