忘れられない思い 9





 朧気な意識から薫は徐々に自分を取り戻すと自身の置かれている状況を素早く把握したいのだが、

未だ目が回るような感覚と、頭の重さが拭いきれないでいる。

 クロロフォルムなどを嗅がされ強引に気絶させられたのだから、

どうにもならない事でもあったのだが。

(あの時、皆本の-------- 頭が重い…… それに身体か !? )

 それでも、気を失う直前までに自らの身に起きたことを思い出しつつ、

全力を振り絞り身体を起き上がらせようとした薫だが、ここで体の自由が効かない事に気がつく。

薬以外の物理的な何かが彼女を捕らえている。

「強引な事をしてすまなかった薫…… 」

「皆本 ! これはどういうつもりなの ?! 」

 自由を奪われている事を正面から薫を見下ろすように膝を着いている皆本へ、

糾弾するのだが、彼はその事は一切何も言及しない。

 今、薫の両手首にはESP錠と思われる手錠がかけられ、

近くにある水道管らしき配水管に輪通しされ繋がれているのだ。

 そして近くには、腕時計型ほどので作られた三時間程度の効果を持つ高性能ECMでさえ

御丁寧に置かれ作動している。

 いわば、拘束されているといった方が早い。

「こうでもしなければ、僕の話を聞くまでも無く目の前から消えてしまうだろ ? 

君の自由を蹂躙している事は分かっている」

 言葉だけは慇懃無礼で申し訳ないような口調で答える皆本なのだが、

顔は真反対に薫を束縛する事が出来た事による歓喜が零れ滲んでいる。

 歪んだ愛情という束縛で。

「卑怯だよ…… 私の知っていた皆本は、こんな事はしなかったのに-------

「何とでも言えばいい。僕をここまでさせるのは君のせいだ…… 

僕の側からいなくならなければ…… こんな事をしないで済んだんだ」

 以前とはまるで別人ともいえる薫への仕打ちに、薫は信じがたい軽蔑と悲しさが募る。

 まだ二人が愛しみ会っていた頃は、誰よりも薫の事を考え守り支えてくれた存在であったというのに。

 しかし目の前にいるのは、ただ薫を独占したがために理性を狂わせ歪んだ皆本がいるだけ。

 それは、好きだった皆本とは別人でしかないのだと薫は悲嘆に胸を抉られる。

 そして同時にこんな皆本にしてしまったのが自分だとも気づく。

 こんな自分の存在一つで、皆本の人生を狂わせたのだ。

 全ては自分のせいなのだと罪悪感に胸詰まりながらも薫は今、皆本にはっきりと

告げなくてはいけない決意を口にする。

「それについては、私は皆本に謝らなければいけない…… 

側から去ったのは私が決めたことだし…… あの頃の私には、もう答えは決まっていたの。

皆本の側で愛されているよりも、私にはやらなければいけない事があるのだと…… 

いいえ、私にしか出来ない事だから。結果的に皆本を裏切った事になったけど、私は後悔していない」

 守られて愛されていた日々に別れを告げた日を脳裏に思い出し、

胸が張り裂けそうな痛みを走らせながら、自分を出来る限り抑えながら薫は皆本に本音を吐露するのだが、

核心だけは決して言葉には出せない。

 いや、言えないのだ…… それを言ってしまえば、今までの自分を裏切る事になる。

 しかし皆本は、そんな薫の内心を当初から見抜いている。

 なまじ、子供の頃から彼女を育て見続けてきたのだから、

けれどもそれを一度も口にしない事にも苛立ちを感じずにはいられない。

 自分の中でそれを抑え我慢できるほど、彼もまた大人ではない。

「一人で決める前にどうして話してくれなかったのだ。薫が、

仲間を救いたい本能が強いのは僕だって知っている。

何も、パンドラに行かなくても方法はいくらでもあるはずだ ! 」

 皆本の非難に、薫は静かに首を横に振る。

「話していても、きっと行くことは止めなかったと思う。

ずっと私はそうする道を選ぶと思っていたから…… 昔…… 

中学生の頃、京介がこうなる未来だと教えてくれた時も、

私は葵や紫穂みたいに、そうならないと完全な否定は出来なかった。

その頃からこうなる予感があったのかもしれないね」

「予知…… 」

 覆す事が出来なかった予知を口に出され皆本は、

悔しさと無力さに顔を滲ませながら体を震わす。

「もう、私は決して元の生活に戻る事は望まない。

どれだけ皆本が私に手を差し伸ばしてくれても。何度も言うけど、

私の事はもう忘れて、そしてこの街から離れて生きて…… 」

 切なさに圧しつぶれそうになりつつ、薫は諭すように皆本へ別れを告げるのだが、

それは皆本には受け入られずはずはなかった。

「出来るわけなんかない ! 僕は薫を守りながら側にいると誓っていたのだ。

君のいない日々など過ごせなどと残酷だ、薫は !! 」

「………… 」

 悲痛な言葉に薫は言い返す言葉など見つかるはずはなかった。

 彼の叫びは、全て自身への愛情だと痛感しているのだから。

「どんな事があろうと、僕は薫を放すことなどしない、どんなに卑怯と言われようと ! 」

「皆本 !? 」

 愛欲の狂気に支配された皆本は薫の上に跨るように乗り上げると、再び唇を奪う。

 薫が意識を失っていた際とは違い、手荒で強引に---------

「皆本っ ! 止めてっ !」

 薫の拒絶などに耳など全く貸さずに皆本は薫の肩や胸、そして腰を愛おしくながらも、

強引に撫でるように触れ始める。

 すなわちそれは、ここで薫を抱こうとする意味を示していた。

 必死に皆本を自分から引き離そうと、彼の肩を全力で押すのだが、

非力な女の力では全く歯が立たない。

 無理矢理にでも身体を重ねれば、薫の気持ちに変化の兆しが見出せるのではないかという、

苦肉ともいえない空しい愚かさだけが薫には募る。

 しかし薫には、そんなつもりは毛頭無いのだが、

ESP錠と小型ECMにより超能力を完全に封じられている身では、

反抗することすら出来ないでいる。

 幾度も互いに求め合い抱かれた経験はあるものの、

こうして一方的に抱こうとする行為に薫は酷く傷つかせ、落胆を覚えた。

 だけども、こうでもして必死に自分を繋ぎとめておきたい程の思いも同時に切ないほど流れ込んでくる。

 ふいに薫は、抗う手を止める。

 抗っても、決して皆本は手を止めることなどしないだろう。

 ならば、彼の好きにすればいいと、自嘲を浮かばせながら、皆本に向きなおす。

「好きにすればいい…… 私を抱いてもいいよ、気が済むまで…… 

でも、こんな事をしても私は皆本の元に戻らない。身体だけ抱いても心は戻らない」

 うっすらと、目頭に空しさを込めた涙を溜めながら、毅然と答えた。

 もう、大人になりきらい頃の恋焦がれながら愛しんで関係に喜んでいた時とは違い、

関係を盾にして束縛される自分ではないのだと、薫は既に気づいていた。

 自身が決めた道は、皆本に止められないのだと。

 しかし、皆本はそれにすら気がついていない盲目さを見せつけ薫の決意を認めようとはせず、

どん手段を取ってでも薫を繋ぎとめておきたいという姿が、薫には哀れに映り直視できない。

「自分の為に、手段を選ばずに相手を押し付けるのは、普通人の考えなんだよ。

普通人はエスパーを自分達の言いなりにしたいだけで、

自分達の言う事を聞かなければ法律という名の制裁的暴力で私達を抑制してきた。

皆本も結局、普通人なんだね…… 本当に皆本は好きだったけど、

エスパーの私とはこうした理解しきれない壁はあるんだ。

だから、私がパンドラに行かなくてもいずれ、私達は終っていたと思う」

 どんなに恋焦がれていた皆本であれ、

エスパーである薫の全てを受け入れ理解する存在では無かったのだと薫は痛切にそれを突きつける。

「薫…… すまない…… こんな事なんかしたら、余計離れてしまうなど、当然なのに」

 と同時に薫の言葉が皆本の胸の奥に激しく突き刺さり、

愛欲に狂い無理矢理抱こうとしていた自身の愚かさに気がつき、我に戻り自身の愚かさを覚える。

 それほどに薫の言葉は、今の皆本には目を覚まさせる効果があった。

 皆本は、薫を束縛していたESP錠の鍵を外すと、ECMをも止め、

薫の
ESPは元に戻り抑制される要因は何も無くなる。

「皆本 ? 」

「力で抑え付けても何も変えることなど出来ない…… 

って、昔、よく犯罪エスパーや薫達に言い聞かせていたのに、自分が出来ないでいるなんてな。

もう薫も子供じゃないんだと痛感したよ。自分で自分の道を決めたのを止められるわけは無いんだ。

僕はそれを止める権限も無い…… どんな結果が待っていようとも、

薫だからこそこの道を選んだのは分かる。君は仲間を見捨てることなんか出来ないのだから」

 変わらない薫の気質を思い返しながら、皆本は自嘲の笑みを浮かべ、前髪を掻き揚げる。

 どこか疲れきった表情が色濃く現れ滲んでいた。

 それは、常に薫を探し続けてきた心労から来ているのだろう。

「そう…… だね。私は皆本に大切な事を沢山教えて与えてもらったからこそ、

今の私がいるんだ。皆本がいなかったら、きっと何も出来ないでいたとは思う。

それは感謝しているよ」

「結局、僕が『女王』を作り上げたというべきかな。昔、兵部の言っていた事を思い出したよ。

当時はそんなわけはないのだと否定していたが、今ではそうだったんだと認めるしかない」

 苦笑を浮かべながら、皆本は空を仰ぐように泣きそうな声で呟いた。

 自らの手で、愛しき人を手放す結末になろうとは、思いもしなかったのだと。




「もう、行けばいい。今の僕は薫を止められないのは痛感したよ」

 皆本は、力なく疲れた背中から薫に吐き捨てる。

「それでいいの ? 皆本…… 」

「あぁ、僕の考えが変わらないうちに行けよ。じゃないと、今度こそ僕は何をするか分からない」

 先程までとは違い、投げやりな雰囲気で皆本は薫の解放を促す事に、

些か彼女は拍子抜けけそうに皆本に問い返すのだが。

「…… なら行くわ。もう逢わないと思うけど…… こうして最後に話せてよかったよ、皆本」

 どこか名残惜しく感じながらも、

薫は自身に芽生え始めていた未練を捨てて自分の生きる世界に戻る決意は揺るがない。

 皆本の言葉通り、彼もまた必死に自分の中で葛藤を抑え込んでいるのだろう。

 互いが大人である時間の間に別れるのが懸命なのだと。

 再び、感情に負けてしまったら、二人とも血を流し合う結末になる可能性もあるのだから。

 それだけは、共に避けたかった。




「薫」

「んっ ! 」

 去ろうと、連れ込まれていた部屋から出ようとした矢先、皆本が薫を呼び止めると今日、

幾度か目のキスを皆本は薫に与える。

 不意打ちというべきキスであったが、薫は抗う事はしない。

 これが本当に、皆本との最後のキスになるのだと刻み込もうとしていた矢先、

「僕は諦めなどしない薫の事は…… どんな事があろうが僕は薫の事を忘れることなど出来ない。

こんな不毛な時代を僕は早く終らせて、君との日々を取り戻す」

 先程までの独占欲とは違う強い意志を皆本は、薫に向け宣言する。

「…… 気持ちだけで十分だよ。でも、私はもう皆本には相応しくない程に穢れているんだ----------- 

もう、あの頃には戻る事など出来ないんだよ…… さよなら
-------

「薫っ !! 」

 泣きそうな声で語尾を震わせながら、そう告げると逃げ出すように薫はドアを念動力で開放し、

瞬く間に姿を消し去った。

 だが、もう皆本は薫を追う事はしなかった。




「薫の奴、こんなものを------------

 薫の去った後、彼女が横たわっていた場所には、形のつぶれた煙草の箱が転がり込んでいるのが目に入り、

しゃがみこみながら手に取る。

 共に過ごしていた頃は決して、吸うことは無かったのだが、

知らない数年間の間に味を覚えてしまったのだろうと彼は考える。

 先程のキスでも、妙な香りと味がしていた原因はこれなのだと気づきながら、

彼は中身を取り出し、少々曲がっている煙草を口に咥えながら、ライターで火を点ける。

「…… よ、よく、こんなものを吸っているな、あいつ」

 元々、吸わないこともあり、途端に激しく咳き込んでしまう皆本だったが、それでも吸い続ける。

 こうしていることで、薫とのキスの余韻をいつまでも身体に残していたいという未練があるのかもしれない。

「僕は絶対に諦めない。どんなことがあろうが、予知になど負けるつもりなどない」

 紫煙に包まれながら、徐々に近づきつつある示された予知の日など迎えずに、

薫との日々を取り戻す事を強く願ながら、愛おしそうに煙草の味を噛み締めるのだった。




 皆本から離れアジトに戻ろうとする薫は、空を駆りながら慟哭している。

皆本に『さよなら』と告げた時の自分の言葉が、自分に突き刺さり今でも苦しさに胸が締め付けられるのだ。

「本当は私だって、忘れたくなんかないんだ。皆本に側にいて欲しいし、抱きしめてもらい !! 

もう私にはそれは言えない…… 自分でそう決めたんだ。でも、苦しくて、

苦しくてどうにも出来ないのは我慢できないんだ !! 

私だって、どうしたらいいのか分からないんだよ !! 」

 虚空に叫び続けながら、誰にも言えなかった本音と共に涙が溢れ出ている。

 今まで自分の中で抑え我慢してきた女としての自分の苦しみを吐き出しながら飛び続け、

慟哭の波声を掻き消すのだった。





                                                      2009・3.5


                                               8に戻る。    
10に続く。



 何ヶ月ぶりかの更新(汗)
 ある意味、しばらく展開に詰まっておりましたので、更新延び延びで…
 ようやく展開が落ちてきました。
 で、そんな内容がチュ〜ばかり(爆)
 いやもうキスの回ということで。
 さすがに年齢指定場面も展開も未遂です。
 ここでは書けませんw
 と申しますが、この話では今後もありません。
 匂わす事はあったとしても。
 
 薫の煙草ネタ…雰囲気で書いただけでしたが、皆本まで伝染。
 しかしどこまで女々しいのやら皆本。
 ちなみに自分は、吸いません(爆)

 さて次回は、おそらくパンドラサイドで進んでいるかと。
 色々な意味で、おいおいになる展開になるかと思いますが、
 この話は皆薫ですので、御安心をー(笑)




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